Common’s Sense
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助詞を補う
播摩 光寿
日本の古典研究の第一人者であり、大学や予備校、カルチャースクールなどで教鞭をとられている播摩先生。
前回は先生ご自身が古典の世界にのめり込むきっかけについてお話を伺いました。今回は古文の勉強法についてお聞きします。
(取材・文/古川紗帆)
―「おかし」という言葉の意味は古語と現代語で変わっているけど、実はどのように「心惹かれる」かという着眼点が平安時代と現代で少し違うだけだというお話をしていただきました。同じ日本語なの、時を経て意味が変わってもやはり共通する部分があるんですね。
だから、古語を現代語に全部言い換えよう、訳そうとする必要はないんだよ。訳すときに、現代語と違う部分なんて半分もないんじゃないかな。例えば、「今は昔、男ありけり。」っていう文があるじゃない、「今」「は」「昔」「男」「あり」これ全部、意味は分かるよね。分からないのは「けり」だけ。「けり」が過去の助動詞だっていうことさえ知っていれば、「ありけり」を「あった」と訳すだけでいい。
―「今は昔、男あった」。現代語としては少しぎこちないですが、完全に訳さなくてもこれだけで意味は読み取れますね。
そして、今僕が訳した中で、現代語に通じないのは「男あった」の部分。「男があった」なら通じるから、「が」という助詞が抜けている。古語では現代語に比べて、助詞が抜ける傾向にある。だから、助詞を補ってしまえば、現代語と同じになるんだ。補える助詞は「が」「は」「を」「と」「や」「の」と決まっているんだけど、現代語でよく使われる助詞で、今挙げた中にないものは、なーんだ?
―うーん……「に」ですか?
正解!「に」を補うと、古文の文の意味を曲げちゃうわけ。さっきの文も、「今は昔、男にあった」じゃおかしいだろう。「に」っていうのは、いわば特殊な助詞なんだ。それさえ分かってしまえばもう古文なんてどうってことない。
―まずは現代語との共通点を意識して、古文では補語が抜けていることが多いから、補語を補えばもはや現代語と同じ、ということですね。
助詞を補うっていうのは、どういう理屈かというと、文の構造を意識するということ。「が」は主語のすぐ下に来るということなんかは、我々は小さい時から自然と身についている。だから、自然と身についているものを基にしていけば、日本人なら誰でも読み取ることができるんだ。