Common’s Sense

播摩 光寿

「古文は日本語」が合言葉

播摩 光寿

日本の古典研究の第一人者であり、大学や予備校、カルチャースクールなどで教鞭をとられている播摩先生。
前回は先生ご自身が古典の世界にのめり込むきっかけについてお話を伺いました。今回は古文の勉強法についてお聞きします。

(取材・文/古川紗帆)

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― では次に、高校生が古文で高得点を取るにはどうすれば良いか、ということをテーマにお話をお聞きしたいと思います。

 僕は高校1年生に古文を教えるときに、まず「古文は日本語」っていう合言葉を教えるんだ。 古文は日本語だっていう意識をもつところから始める。英語を勉強するようにして古文は勉強すればいいんだ、って言う先生もいらっしゃるけど、古文は日本語の祖先なんだから、日本語として捉えればいい。


― 違う言語として捉えてしまうと、それだけで気持ち的に壁ができてしまいますもんね。

 そうそう。まず、古文は一目見てすぐ音読できるじゃない。ということは、文字が同じだっていうこと。文の構造も同じ、主語と述語の位置も同じだろう。英語の場合は、文字も違うし、発音も違う。古文は日本語なんだから、今使っている現代語と古典の言葉の、共通点は何かっていうことを考えることろから入ればいいわけ。
共通点さえ掴まえれば、あとは違っているところを探せばいい。違っているところなんて、実はそんなにないんだ。


― 現代語と古語の違っているところというのは、たとえばどんなところでしょうか?

 同じ言葉でもその意味が変わっているということ。例えば、「おかし」っていう言葉は、現代でいうと「可笑しい」、つまり「面白い」という意味だよね。
平安時代にも「おかし」にこの意味はあったんだけど、ほとんどの場合は「趣がある」や「心惹かれる」という意味で使われていて、「面白い」っていうのはいちばん最後に考える意味だったんだよ。でもこれも、どういう風に「心惹かれる」のか、という問題で、現代でも古典でも、心は惹かれているわけ。面白くて心惹かれるのか、趣があって心惹かれるのか、目のつけどころがちょっと違うだけなんだ。